役に立つこと、無駄なこと-2025年度の実践から見えたもの

社会福祉法人来島会が立ち上げた「イマバリ・パラビエンナーレ」プロジェクト。2025年度は、アートを媒介とした新しい共生社会の形を模索し、数多くの実践を重ねてきた1年でした。

もちろん、これらの実践すべてがわかりやすい結果に結びついたわけではありません。目に見える成果となったものもあれば、これからどう育つかわからない種のようなもの、あるいはいまだ葛藤のさ中にあるものなど、その現在地は様々です。

だからこそ、まずは本稿にて、今年度私たちが地域のなかで取り組みつづけた、具体的な活動の足跡を振り返ってみたいと思います。

2025年度の主なプロジェクト活動

だんだんBASEギャラリー展

企画展を行っただんだんBASEギャラリー(今治市高市甲161番地3)は、来島会の保有する農地のなかにある古民家です。この企画展は、作品の上手下手だけではなく、一人ひとりの感性や表現の「違い」の面白さを、地域の皆様に知ってほしいと企画しました。多くの障がい者アート展とは異なり、その方の「違い」を面白く感じていただけるよう、一人ひとりにスポットをあてて、企画展示を行いました。昨年度、私たちは5回にわたる「障がいのある方の親なきあとの豊かな地域生活セミナー」を通して、地域における障がいのある方の生活課題と改めて向き合いました。

プレ・イマバリ・パラビエンナーレ

2026年度に初開催する芸術祭イマバリ・パラビエンナーレに向けたキックオフイベントとして、KOSUGE1-16土谷享さんの参加型アート「巨大サッカーボードゲーム」を今治市中心部のみなと交流施設はーばりー(今治市片原町1丁目1-27)に設置。開催した2日間、巨大ボードゲームを囲む人々の間に生まれた、“共に楽しむ”という体験から生まれるつながり。福祉やアートという枠を超え、互いの存在を感じ合える、温かい時間がそこにありました。

今治里山にサーカスパレードがやってくる(art venture ehime fes 2025)

愛媛県と東京藝術大学、地域の人々が協力して行ったアートフェスティバル「art venture ehime fes 2025」の今治市エリア里山ゾーン(今治市高橋ふれあいの丘1-3)で一般社団法人瀬戸内サーカスファクトリーと協働し、美術家KOSUGE1-16土谷享さん、音楽家片岡祐介さんのご協力のもと、「今治里山にサーカスパレードがやってくる」を開催しました。
会期中展示されていたモンタージュ「メリーゴーラウンドと動物のサーカス団」が最終日の11月3日に自転車メリーゴーラウンドへと変身。
ふらりとやってこられた参加者は自転車メリーゴーラウンドで遊ぶ傍ら、全員が自作の衣装で仮装し、パレードにも参加。
パレードの行きついた先にあったのは、瀬戸内サーカスファクトリーのサーカス公演。
みんなが主役となって、一日中、会場のアシックス里山スタジアムが笑顔に包まれました。

  • 2025年10月18日~11月2日「 モンタージュ「メリーゴーラウンドと動物のサーカス団」」
  • 2025年10月26日「今治里山にサーカスパレードがやってくるプレイベント in イオンモール今治新都市
  • 2025年11月3日「今治里山にサーカスパレードがやってくる」 開催報告はこちら

地域文化講座「アートの視点から地域を考える4つのレッスン」

生活介護事業所さんかくやま(今治市唐子台東3丁目15-3)を共催者に迎え、文化政策・アートマネジメントを専門とする戸舘正史さんが企画、さんかくやまの生活支援員、青砥穂高さんと共同でファシリテートを行った連続講座「地域文化講座「アートの視点から地域を考える4つのレッスン」」。今治市中心市街地の私設文化拠点である今治ホホホ座(今治市共栄町1丁目3-3)を会場に、全4回の各回で他者理解について考える場を企画しました。
※企画意図はこちら

私たちがなぜ、社会福祉法人でありながらアートに取り組むのか。それは、アートとは、人の営みそのものであり、福祉とは人の営みを支えることと考えているからです。
何ができるかではなく、ただそこにいることを喜び合える関係性。それこそが、私たちの考える福祉の原点であり、イマバリ・パラビエンナーレの存在意義なのです。
では、この1年間の実践を通して、私たちの中にどのような変容があったのか。来島会におけるイマバリ・パラビエンナーレプロジェクト責任者であり、事務局としてプロジェクトを進捗してきた私自身の視点から、少し赤裸々に語ってみたいと思います。

異文化との出会いが教えてくれた「期待」という毒

私はもともとアート分野を学んできたわけでも、現代アートに詳しいわけでもありません。障がい当事者の方へ直接的な支援を行ってもいません。来島会の事務方として日々を過ごしています。

そんな私が、このプロジェクトを通して、外部のアーティストという、日頃常識だと思い込んでいることがまったく通用しない世界の人たちと関わることは、戸惑いの連続でした。物事の進め方、言葉の定義、時間感覚。「こうあるべき」という前提が共有されていない異文化との出会いは、時に摩擦を生み、そこに大きなエネルギーを必要としました。
しかし、1年間を走り抜けて振り返ってみると、その摩擦こそが、私を客観視させてくれる大切な機会だったと気づかされます。

来島会のアートプロジェクト全般の監修をしていただいている美術家 KOSUGE1-16土谷享さんは、2025年度の私たちの活動を「このチームにとってのラーニングの機会だった」と表現してくれました。
その土谷さんから言われた言葉で、非常に強く印象に残っているものがあります。

『期待』という感覚は、する側にもされる側にも毒なんです。合理性がないですから、自分ができないことを人に押し付けているだけで、不幸ばかり起きますよ

この言葉は、私の胸に深く突き刺さりました。思えば、福祉の現場や組織のなかでは、「言葉にしなくても、相手は気持ちや状況を汲み取って動いてくれるはずだ」という思い込みを前提とした『期待』が働きがちです。それは一見すると「あうんの呼吸」のようですが、実は「自分の常識や『こうあるべき』という枠組みを、相手に押し付けている」だけなのです。

11月3日「今治里山にサーカスパレードがやってくる」にて仮装して新聞社からの取材を受ける筆者(左)

アーティストという異文化との出会いは、そうした私のなかに蔓延していた「期待」を浮き彫りにし、福祉の現場でも起こりがちな「こうあるべき」から私を少し解放してくれました。
今でも、当たり前の違う人とのやり取りにハラハラすることはあります。ですが今は、「まあ、違う人間だしな」と、その違いを面白がり、大きく受け止められる余白が生まれました。

これは単なる私個人の感情の変化にとどまりません。来島会という組織全体が、これから真の意味で「多様性」を地域社会に提案し、私たち自身がそれを受け入れていくための、葛藤のなかでの大切な準備運動だったのだと、確信しています。

施設から地域へ、組織の成長と職員の変化

このような異文化との出会いを通した組織の準備運動は、プロジェクトに関わる現場の職員たちにも確かな変化をもたらしました 。

日々の支援や介護に追われる現場の職員にとって、プロジェクトの運営やイベントの準備は、最初は「上司から指示された面倒な仕事」だったはずです。新しいこと、それも日頃の私たちの常識と異なることを取り入れることは、決して容易ではありません。

しかし、ギャラリー展や巨大サッカーボードゲーム、サーカスパレードのような体験、シンポジウムや地域文化講座といった落ち着いて考える場、両面の活動を重ねるうちに、少しずつ職員が変わっていくのを感じました。

ある職員は、このプロジェクトが始まった当初
何になるかわからないことのために調整作業ばかりが多く、その時間を事業所内での具体的な支援や事務作業に使いたい
とこぼしていました。
しかし、プロジェクトを終えた今、その同じ職員が
自分が事業所のなかだけに目を向けていて、外への働きかけができていないこと、そして制度に囚われていたことに気づかされた
という変容を口にしてくれました。

11月3日「今治里山にサーカスパレードがやってくる」にて仮装する職員

私たちの仕事は、ともすれば「危ないから」「失敗しないように」と先回りして、利用者の方々の行動を止めてしまいがちです。
しかし、アートという何が起こるかわからない面白さを挟むことで、「まずはやってみようか」と、一歩下がって見守る余裕が生まれ始めました。
イベントの表面的な成功よりも、こうした「こうあるべき」との押し付けがゆるみ、日々の支援やお互いの関わり方が少しずつ変化していったことこそが、最も価値のある成果なのだと思います。

ただ一つの正解を求めるのではなく、私たちが予想もしない「気づき」や「変化」を受け入れる組織への成長。それこそが、このプロジェクトの最大の面白さです。

無駄なことが、その人の面白さになる

そして何より、だんだんBASEギャラリー展などを通じて、利用者の方々自身の大きな変化を目の当たりにしました。

3月4日伊予銀行今治支店ギャラリー呑吐樋で開催の「葵電機展からの軌跡」にてテレビ局からのインタビューに答える越智葵さん(右)

福祉の現場では、ある種の強いこだわりは、ときに問題行動として扱われ、やめさせるべき対象になりがちです。しかし、アートという枠組み、ギャラリーという非日常の空間にそれを置いてみると、見え方が180度変わります。
役に立たないと思っていたその執着が、実はその人にしか表現できない面白さであり、魅力そのものになるのです。

「してもらう」という受け身の姿勢になりがちだったご利用者様が、自分の表現が肯定されることで、「次はこれをやりたい」と意志表示をするようになる。自己実現の主体へと変容していく姿は、私たち支援者にとって何よりの希望でした。

役に立つこと、無駄なこと

2025年度の活動全体をとおして、私は今、改めてこう考えます。

現在、社会全体のみならず、福祉の領域においても、ますます「生産性」や「成果」、つまり「コストパフォーマンス・タイムパフォーマンス」といった数字やデータに還元される流れが強まっています。
限られた資源の中で運営していく以上、これ自体を否定するつもりはありませんし、事業を継続する上で大切なことです。

しかし、福祉を人の営みとして捉え直したとき、本当にそれだけで良いのでしょうか。

実は、人の営みの大部分は、生産性のない無駄なことでできているのではないでしょうか。その非効率で無駄なことにこそ、その人らしさが宿るように思います。
誰とでも交換可能な「ヒト」ではなく、かけがえのない「あなた」が立ち現れるのは、いつもその無駄のなかだと私は思うのです。

「役に立つこと=交換可能な機能」と「無駄なこと=かけがえのなさ」

この二つは、福祉において、あるいは人が生きることにおいて、どちらか一方を切り捨てるものではなく、両輪であるべきなのだと思います。

ともすれば、役に立つことや正解ばかりに偏りがちな私たちを、今を生きているかけがえのない私たちに引き戻してくれる。イマバリ・パラビエンナーレというプロジェクトは、そのような大切な存在でありたいと考えた1年でした。

この原点を胸に、2026年度私たちは今治から共生の新しい形を作るべく、第一回イマバリ・パラビエンナーレの開催に挑みます。

事業所を飛び出し、アーティストやアートを触媒として、地域住民の皆さんや様々な地域の資源とつながり、違いのある人たちが面白がりながら一緒に生きることの意味を体験していきます。
これからの活動は、あなたのすぐそばで行っているかもしれません。ぜひご参加ください。

書いた人:三幡大輔(来島会・イマバリ・パラビエンナーレプロジェクト責任者)