2025年11月1日(土)、プレ・イマバリ・パラビエンナーレのプログラムの一つとして開催された「共に生きる社会」を有識者とともに考えるシンポジウム。
この記事では、巨大サッカーボードゲームが生まれるまでのプロセスを振り返りながら、それぞれの専門性を超えてどう協働するか、この取り組みの先にあるまちづくりについて語り合われたセッションの様子をお届けします。
<登壇者>
ファシリテーター:
・戸舘正史氏(社会福祉法人来島会 アートプロジェクト監修、四国学院大学 非常勤講師)
パネリスト:
・土谷享氏(美術家/KOSUGE1-16)
・北條元康氏(株式会社北條工務店 代表取締役、NPO法人向島学会 代表理事)
・吉成隆氏(吉成工業株式会社 代表取締役)
「関係性を生む装置」としてのアート
戸舘正史氏(以下、敬称略):
このセッションでは、この巨大サッカーボードゲームについて触れていきたいと思います。制作を手がけた土谷さんから、まずはこういったアートを作るに至った背景をお話しいただけますか?
土谷享氏(以下、敬称略):
これより前には、この会場にはとても入りきらないほど大きなサッカーボードゲームをつくったこともありました。誰かがずっと手をかけなくても、そこに置いてあるだけでワークショップやコミュニケーションが自然に生まれていくような“場づくり”です。自分の作品として、というより、地域から立ち上がってくるものとして、人と人の接触をつないでいくための“媒介”として「アート」を置いていたんです。
例えば、吉成さんや北條さんはこのプロジェクトを通してじゃないと本来出会わなかった人同士なんですよね。このアートが生まれるプロセスでも、新しい人と人のつながりが生み出されてきました。

戸舘:
実際にどんな経緯でこのメンバーは集まったんですか?
土谷:
最初は金属加工を手がける吉成工業の吉成さんに「作品づくりに協力してほしい」と依頼して、「そんな暇じゃない」と断られたところからスタートしました。それでもめげずに4回ほど通い続けたある時、「正直、話だけではよく分からない。まずはうちの組合でアートの授業をしてみてほしい」と言ってくださったんです。
そこで「印象派からKOSUGE1-16まで」をテーマに授業をさせてもらいました。印象派っていうと、みんなふわっとした絵を描く人たち、って思うかもしれないけど、僕がすごいと思うのは、ギャラリーという場の礎を作ったことなんです。画商っていう職業をつくったり、作品を歴史としてアーカイブしていく。そういう装置をいくつも発明して、150年たった今でもそれがちゃんと機能している。スタートアップとかベンチャー企業みたいなものだと思うんですよ。社会にまだないものを可視化して、機能させる仕組みを発明していける人たちなんです。
そしてその上で、私が何をしたいのかを話したんです。「何をつくりたいか」ではなく「今の社会で機能させてみたいことがある」と。その一つの形として「巨大サッカーボードゲームのようなものを一緒に作ってみませんか?」と伝えました。
吉成隆氏(以下、敬称略):
最初、土谷さんが話していることは全く分からなかったですね(笑)。
私たち金属加工をしている人間からすれば、土谷さんが初めて来たときから“言っていること”はよく分からなかった。でも、「何かを作りたい」ということだけは明快だったし、そのための技術自体は、私たちにとって難しいものではなかったんです。
最初は自転車の作品づくりを手伝って、そのあともいろんな現場に連れていかれました。その過程で、ある日、チケットをもらったので美術館で開催されてたマルセルデュシャン展に行くことがありました。そこではアーティストの描く緻密な設計図なんかも見せてもらいました。正直、それまではアーティストとかアートというのは“才能のある人が感覚でやるもの”だと思っていたんです。でも実際には、構造を緻密に考え抜いた設計があって、そこに出会ったことで「ああ、アートってそれだけじゃないんだ」と思った。私たちみたいな仕事をしている人間は、設計図を見るとつい反応してしまうもので。
それにしても、巨大サッカーボードゲームを作るなんて、私の仕事柄ではまったく考えてもみなかったことです。ふだんは図面に沿って町工場で部品をつくる。でも土谷さんが持ってきたのは、図面ではなく“ただの一枚の絵”。
1枚のアイデアスケッチ持ってきて、「これを何とかしてくれ」って言うんですよ。
「どう実現するんだ?」と最初は思いました。鉄でものを作る上で、強度や安全性、そして私たちがいなくても誰でも使えるものにすること。そういったことを考えながら制作を進めていましたが、これがなかなか大変で……。
図面があれば私たちは大概のものがつくれます。でも、この3人で話し合いながら「これぐらいの大きさで」と話しても、具体的な数値や設計が決まっていかないんです。
ですが、やっていくうちに気が付いたことは「ものづくりは、そこから始まるんだ」ということでした。設計図が先にあるんじゃなくて、まず“やりたいこと”がある。その実現に向けて、僕らが手を貸す。手を貸すことを厭わなかったのは、きっと純粋に面白かったからだと思いますね。

戸舘:
いい話でしたね。アートという言葉の代わりに、現場での具体的なものづくりや関わり方として語られていたのが印象的でした。
そして大工であり、この作品のもう一人の制作者である北條さんとも出会ったわけですね。
北條:
先ほど吉成さんが話していたものづくりに関してですが、私は大工なので私にとっての最小単位は、ミリです。大工の言葉で言うと「一分(いちぶ)」は約3ミリを指します。
なので「ちょっと」と言えば、私にとっては3ミリの感覚なんですね。「ちょっと大きな穴を空けて」と言っても、せいぜいその程度のスケール感です。ですが吉成さんは、もっと小さい、0.1mm刻みで穴の加工をする。それが吉成さんにとっての感覚です。そこに、私たちそれぞれのプロとしての感覚の違いがあります。
土谷:
この二人はプロジェクト中、ずっと喧嘩ですよ(笑)。

根本的に、測り方が違うんです。北條さんの大工仕事の場合、例えば家を建てる際に構造体のの中心から左右に分かれながら寸法を測っていくことが多い。しかし、吉成さんの扱う工業製品の場合だとX軸とY軸、つまりゼロ地点から伸ばしていくのが基本です。
この視点のズレによって喧嘩が始まるんです。まずはお互いの基準のすり合わせが必要で、そこから相手の考え方の違いを理解していくことが求められました。
違いを楽しむ、協働のプロセス
吉成:
作る過程というのは、僕は金属しか知らない、彼は大工だから木しか知らない。そこのすり合わせには、かなり苦労しました。
北條:
制作速度も違うんですよね。 金属はすごく時間がかかって加工するんですけど、木はすごくスピード早く加工ができて、形を作ることができる。その進行速度も合わなくて。
私たち二人の間に土谷さんを挟んで、その都度変換してもらうわけです。そうすると、段々と「ああ、そういうことなんだろうな」と吉成さんも理解してくれる。そして、私自身も吉成さんの基準が分かるようになっていきました。「他人の基準」というものが見えるようになったんです。
土谷:
私たちはお互いの価値観を全く別のものに強制的に変えたりはしません。ただ「いいものをつくりたい」というモチベーションは一緒だからこそ、そのためのすり合わせをきちんとできた。また、その過程で摩擦もあるわけですが、それが楽しいんですよね。
吉成:
結局、ものづくりって、自分だけのためにやるんじゃなくて、誰かのために作ることが多いんですよね。必ずしもお客さんとして依頼されるわけじゃなくても、作る過程で他の人の期待や関わりが自然に生まれる。
北條:
そうやって少しずつ互いに理解しながら作るプロセスは本当に楽しかったですし、摩擦を乗り越えることは、快感ですらありました。
ただ、誰とでもうまくやれるわけではない、ということに後から気づくこともありました。私自身も大工として、工務店として仕事をしているので、インストーラー(作品を設置したり形にする技術・能力)の役割は果たせます。しかし安易に「できます」と言ってしまうと、その部分はできる人任せになってしまって、共創の余地がなくなってしまう。
こうした摩擦をうまく乗り越えられたのは、土谷さんが受け皿となってくれたおかげという側面も大きかったと思います。

土谷:
私が巨大サッカーボードゲームをつくっているのは、あくまでも「口実」なんです。作品そのものが、このプロジェクトのメインディッシュではありません。アートをきっかけにして、本来であれば出会うことのない、結びつくはずのない人たちが関わっていくことこそが、面白い。
北條:
土谷さんはドローイング、つまり線一本の絵だけを描いて「これを作りたい」と言ってきました。ですが、土谷さんはそれ自体をつくりたかったわけではなくて、「誰かと一緒に作りたい」という気持ちが強かったんだろうと感じますね。

専門性だけでは不十分。人としての熱意が協働を生む
小松田儀貞氏(以下、敬称略):
それこそ原点じゃないですか。すごくクリエイティブだと思います。行動(アクション)と情熱(パッション)があって、行動は情熱がなければ成り立たない。でも、行動が成功すると情熱が生まれることもある。どちらの回路もあるのが素晴らしいですね。
土谷:
そもそも僕がKOSUGE1-16をやっている理由は、日本には海外のような美術を学び、実践できるフィールドが十分にないからです。だから作品を作るだけでなく、仲間づくりやコミュニティづくりも同時に行う必要がありました。
印象派が作った仕組みは本当に素晴らしくて、今でも多くのアーティストの土台になっています。でも僕は、それにただ従うだけじゃなくて、仲間と一緒に新しい仕組みを作って、社会でちゃんと機能させていくことが大事だと思ってやってきました。
だから僕がやっていることは、単に作品を作ることだけじゃないかもしれません。まずはコミュニケーションやパッションから始めて、それを通して作品や活動につなげていく、そんな感じです。
小松田:
プロフェッショナルとしての専門知識や資格を持つ人もいますが、それを超えたところでつながることが大事で、吉成さんの場合も「俺たちの世界では」という枠がありました。でも、作りたいという気持ちが伝わったことでつながれた。
「何を言っているか分からないけど何かを作りたいんだな」「やりたいという気持ちが伝わった」という、ロジックを超えた部分があったからこそだと思います。このエピソードにはグッときました。
福祉でも同じで、資格や知識という「専門性」だけではなく、それを超えた共通の目的が必要です。そういう意味でアートも福祉も同じなんだと思います。
土谷:
そうですね。専門性を持ちながらも、それぞれの「素人」の部分で、自分も相手も「やりたいことは一致している」という状態をつくることが大切なんです。誰か一人がプロフェッショナルとしてリーダーシップをとってしまうと、その人の音頭でやっていかなくてはならなくなってしまう。
もちろんこの3人も、それぞれが持っているカードは「プロ」のものです。「俺だったらこうやるよ」というプロのカードを出せる土台をつくるのが、この巨大サッカーボードゲームプロジェクトの本質ですね。

「誰もが関われるもの」を支える専門性
越智:
土谷さんと関わるようになって感じたのは、制作の過程そのものを大切にしているということです。サッカーボードゲームだけでなく、その前段階の作品や過程にも価値がある。それに加えて、さまざまな人が関われる余白を残している点も素晴らしいと思いました。
土谷:
もう少し掘り下げると、私は「自分がいなくても機能する」とはどういうことかを意識しています。
吉成:
基本的なもので済ませられるなら、専門家は必要ありません。ただ、「みんなで共有できる」ように作るのであれば、一段高い設計が求められます。
私たちが作った巨大サッカーボードゲームは、主にネジを回して止めるような部品で構成されています。まだ20年ほどしか稼働していませんが、壊れていません。これが仮に、電気を介在させてしまっていたら「壊れない」とは保証できないんです。
「みんなが使ってくれるものを」という視点でものを作れば、壊れにくく、誰にとっても使いやすいものをつくらなければならない。それを見越して設計するには、専門性が必要です。もしこの巨大サッカーボードゲームが壊れたとしても、分解すれば誰にでも構造が分かり、手を加えられるように設計しています。
土谷:
図面や指示書がなくても、そのものを見れば、「この人はこういう思いで作ったんだな」と読み解けるように、このサッカーボードゲームは作られているんです。誰でも使え、修理できる仕組みによって、作品の持続可能性が生まれています。
越智清仁(以下、越智):
今のお話は、私たちにも非常に参考になると思いました。
私たち福祉関係者自身も、私たちだけが専門性をもってケアするのではなく、地域の中で助けてくれる人がいることが世の中にとって必要だと考えています。私たちだけがソーシャルワーカーなのではなく、世の中の人がみんながソーシャルワーカーになればいい、という視点です。

戸舘:
「ケア」は直線的でも一方向だけでもないですよね。ケアされる側だけの話ではなく、どんな人でもケアする・ケアされるという役割を行ったり来たりする、循環的な関係が大切です。
越智:
「障がい」という考え方自体も変えていきたいですね。究極的には、障がい者という人たちすら存在しない社会がよいと思っています。
例えば、眼鏡が発明される前であれば、私にも「目が見えにくい」という障がいがあったでしょう。しかし、現代に生きているから眼鏡という仕組みのおかげでそこまで障がいを感じずに暮らしていけます。この「眼鏡のような仕組み」や「ケア」が必要であり、「障がい」という考え方自体を私たちは変えていきたいですね。
場をひらく「しかけ」の社会的価値
戸舘:
向島では2000年代から意図的に地域アートのプロジェクトが行われてきました。もう20年余りになります。
北條:
向島は、防災意識が非常に高い街です。なぜかというと、震災で区の半分が焼失し、明治の頃の水害や地震も経験している。行政はいろいろな防災策を講じていますが、うまく機能していないことも多く、住民はそれを受け入れながら暮らしている。「防災」という行政主導の強い論理で街が構造化されてきたため、どこか窮屈さや閉塞感が漂い、住民も「なんとなく暮らしながら迷っている」という雰囲気がありました。
私が住んでいるのは、大空襲で焼け残ったエリアで、長い年月を経て空き家が増えてきた場所です。そんな中、1999年から2000年頃にかけて、行政は「空き家に住む人がいないから」という理由で、アーティストを呼ぶ施策を始めました。
それまでの私は「こんな窮屈な街にいられない」と感じて、街を出て行こうかと考えていたこともありました。でもそんな時に、自分とは逆の発想を持って街に入ってくるアーティストという存在に出会うことで、街への見方が変わったんです。
ちなみに土谷さんと出会ったのも、「まだ向島には、私にもやれることがあるのではないか?」と感じていた頃でした。

北條:
確かに向島とアートの結びつきは強いですが、「アート」というと、街の人には伝わらないかもしれません。実際に向島で活動するアーティストも、今や「アート活動だ」とは言っていません。
例えば、「俺は店のおやじだ!」と言いながら珈琲を入れている。まさにその「おやじ」がバイオリニストだったりするわけです。あえてアーティストと名乗らずに、「店のおやじ」として弾くことで、街の人は自然に受け入れやすくなる、そんな光景が生まれています。
私たち北條工務店でも、廃工場を活用したスペースで年に何回かイベントをやりますが、難しい説明はせずに「とりあえず見てって」と伝えています。そうしているうちに、5年くらい経つと「今年も何かやるんだろう?」と地域の人も期待してくれるようになります。
空き家を拠点にする変わり者のアーティストの存在が起爆剤となり、地域に人が集まり、活動の輪が広がっています。
森真理子氏:(以下、敬称略)
京都の舞鶴には今治によく似た商店街があります。そこにある空き店舗を改修して気軽に入れるよう開放したところ、自然に人が集まるようになりました。アートと意識せず、目的をあえて決めつけず、説明もしなかったことで、さまざまな人やモノが混ざり合うスペースが生まれたと思います。
舞鶴で仕事をし始めた2009年頃は、まさに全国各地でアートプロジェクトが増えてきた頃でした。でもなるべく「アート」という言葉にとらわれず、地域のニーズやオーダーに沿って活動を進めるスタンスをとっていました。外から来たアーティストや関係者には、私のやり方が「舞台を作っているよう」だと映ったようです。その感覚は、土谷さんが多様な人と一緒にプロジェクトに取り組むスタンスと非常に似ているように感じます。
自分ひとりでやれることは限られています。でもそこに、それぞれのプロが関わることでできることがある。それぞれの役割を果たし、地域の資源を活かしながら全体をうまくマッチさせていく―そんな感覚です。
戸舘:
土谷さんのやり方って、施設や劇場みたいに場の状況自体を作ってしまうアートなんですよね。そのようなアートが持つ社会的な価値は、大きいと思います。
セッションを終えて
今回のセッション「巨大サッカーボードゲームとは何か!?」を振り返ると、単なるアート制作の話に留まらず、「人と人との関係性を生む仕組み」としてのアートの本質が鮮明に見えてきました。土谷さんの言葉にあるように、作品そのものはあくまで“口実”であり、そこに関わる人々が互いに理解し合い、摩擦を楽しみながら協働するプロセスこそが価値の中心にあります。
セッションに聴講者として参加されていた音楽家の片岡祐介さんは、音楽との共通点にも触れていました。

「最初は自分が演奏で引っ張ろうと考えていましたが、それには意味がないと気づきました。それから参加者が自由に音を出せる“場”をつくる方向へ転換しました。
金属と木材が組み合わさって作品が生まれたように、音楽にも“異なる基準”が存在します。ジャズとクラシック、民族音楽の演奏者が一緒に演奏するとき、どちらかが指揮を取り、一方が合わせる構造になりがちです。重要なのは、どちらかのルールを押し付けるのではなく、どう共演するかだとあらためて感じました」
さらに片岡さんは「自分自身がケアをされる側」の立場を意識することで、より自然で豊かな関わりが生まれると語ります。
「頼りない自分をさらけ出す方が、演奏もうまくいくんです。子どもたちや障がいのある方たちと音楽で共演できることは、楽しく、そして学びも多いんですよね」
このエピソードは、巨大サッカーボードゲームを通して見えてきた「共に生きるための協働」の本質と重なります。専門性だけではなく、互いの人間性や素直な熱意を通じて関係を築くこと。摩擦や違いを恐れずに楽しみながら調整すること。
時にケアし、時にケアされながら、「もちつもたれつ」支え合う仕組みを作ること。それこそが、このプロジェクトの本質でした。
アートも音楽も福祉も、そして地域活動も、根底で求められるのは、こうした「互いに関わり合う場」と「相手の立場に立って受け止める視点」です。相互性と流動性を伴った関わりの中でこそ、人は学び、成長し、共に生きる社会のかたちをつくることができる。
今回のセッションは、単なる作品紹介にとどまらず、私たちが日常や地域の中でどのように共に生きるかを考えるきっかけを提供してくれました。

