【プレ・イマバリ・パラビエンナーレ/セッション】「地域コミュニティとアートの協働とは何か?」

2025年11月1日(土)、プレ・イマバリ・パラビエンナーレのプログラムの一つとして開催された「共に生きる社会」を有識者とともに考えるシンポジウム。

この記事では、基調セッションの話題から派生した「ケアとアート」というテーマや、「障害者アート」などの単純化した言葉で切り取られることによって失われる価値、その上でどのように発信していくかといった問いについて語られたセッションの様子をお届けします。

<登壇者>
ファシリテーター:
・戸舘正史氏(社会福祉法人来島会 アートプロジェクト監修、四国学院大学 非常勤講師)

パネリスト: 
・森真理子氏(厚生労働省 障害者文化芸術計画推進官)
・小松田儀貞氏(秋田県立大学総合科学教育研究センター 准教授) 
・三幡大輔(社会福祉法人来島会 法人本部 次長(イマバリ・パラビエンナーレプロジェクト責任者))

ケアを「施設の外」へ開くこと

戸舘正史氏(以下、敬称略):
先ほどの基調セッションの後半で小松田さんが「ケア」という言葉や考え方について話されていましたが、“ケアを開いていく”ということは、まさに来島会がまちなかで展開していることではないかと感じました。

今回のプレ・イマバリ・パラビエンナーレの開催意図や経緯について、改めて三幡さんからお話いただけますか?

三幡大輔(以下、三幡):
私たち人間の生活は本来、施設の中だけで完結するものではなく、地域のさまざまな場所で多様な人と関わりながら行われるはずだと考えています。その壁を少しでも溶かしていくことが、このプロジェクトの大きな目的です。

障害の有無や住んでいる場所に関わらず、色々な違いのある人たちが協働の活動を通じて何かをつくり、関わり合う。今日のプレ・イマバリ・パラビエンナーレをきっかけに、これから始まる取り組みを、様々な機会を通してお見せしていく予定です。
来島会は社会福祉事業を行っているため、「障害者」という言葉を使っていますが、今回の取り組みが考えている「障害」はそれだけではありません。社会の中で生きづらさを感じていたり、自分の意思でチャレンジができなかったり。そうしたことも含めて、すべてを「障害」と捉えています

戸舘:
いわゆる「障害のある人」たちだけを対象にするのではなく、もっと広い視野でさまざまな社会の凸凹を盛り込んでいく取り組みということですよね。三幡さんのこの“大風呂敷”について、小松田さんはどのように考えてらっしゃいますか?

小松田儀貞氏(以下、敬称略):
私が大学生活を送っていた1980年代の仙台で、偶然出会った人たちがいました。ここでは分かりやすく「障害者」と表現しますが、彼らは「施設から出て、地域で自立して生活したい」と願う人たちでした。当時は、そうした声を上げると「勝手な連中だ、せっかく世話してやっているのになぜだ」といった反応が社会には多く、まだまだ受け入れられる状況ではありませんでした。

今では「共生」という言葉が日常的に使われていますが、当時はその概念すら明確ではありませんでした。1990年前後になってようやく語られ始め、関西では「そよ風のように街に出よう」という雑誌も生まれました(雑誌そのものはそれより前に出ていましたが)。障害のある人が街で暮らす姿を前向きに捉える動きが出てきたんです。東日本にいた私たちは「すごいな」と感心していたことを覚えています。

しかし同時に目にしたのは、施設や家族による「守る」つもりで行う支援が、結果として本人の自立を阻む「障害」となる現実でした。本人の意思が置き去りにされることで、「生きたいように生きることの難しさ」が生まれていたのです。

今でこそ「共生」という言葉が当たり前のように使われていますが、当時はそんな言葉すらありませんでした。今日のセッションでたくさんの「美しい話」が出ましたが、そうではない時代がごく最近まであったということは、忘れてはならないと思います。

三幡:
その状況は、実は今もさまざまな形で続いています。親御さんはどうしても我が子可愛さに過保護になり、外に出すことをためらってしまう。施設側も「危ない」という視点で危険を排除する方向に偏り、「外に出さない」「失敗させない」という暮らし方を強いてしまう。

安心・安全という名のもとに、家族や施設の思いやりが行き過ぎて、本人の意思が置き去りになるのです。本人も経験がないために「危なくないならその方がいい」と言ってしまう。その結果、「自立したい」という強い意思が剥奪されているという状況は、過去の問題ではなく、今まさに起きている現実だと感じています。

「大きな言葉」に覆われると見えなくなるもの

森真理子氏(以下、敬称略):
今のお話を聞いて感じたのは、例えば「共生社会」や「障害者芸術」という言葉は行政も含めて、昨今よく耳にすると思いますが、どれも非常に“大きな言葉”だということです。

何かを一つに括って議論するためにそういった言葉は必要で、便利な言葉でもあります。ただ、その大きさゆえに、中身がぼやけたり危うさを孕んだりもする。

だからこそ、現場ではなるべく言葉を細分化したり、別の言葉に置き換えたり、「そもそもなぜこの言葉が生まれたのか」に一度立ち返ることが必要だと思うんです。

「障害者芸術」という言葉一つとっても、ここにいる皆さんが思い浮かべるイメージはきっと違います。それぐらい幅は広いし、行われていることも多様です。

基調セッションで触れた「船をつくるプロジェクト(種は船プロジェクト)」のときも、現場では誰もそれを「アートプロジェクト」とは呼びませんでした。「あの船どうなった?」と話すだけで、みんなが自分ごととして関わっている感覚があったからです。

外で説明する時には「アートプロジェクト」と呼んだ方が手っ取り早いこともある。でも、内側にいるときはその言葉がしっくりこないこともある。そういった違和感を抱えながら、場に応じて言葉を切り替えていく必要があると思うんですよね。

小松田:
言葉の大切さと同時に、リアリティのないまま言葉だけが先行してしまう危うさもありますね。

戸舘:
強く大きな言葉を使うと、一色に塗られてしまって、多様なグラデーションが見えなくなることがあります。

例えば、今この会場に展示されている作品を「障害者アート」と呼ぶことはできるけれど、作っている本人はアートだと思っていない。職員の方々も「アート活動をしている」という意識ではないかもしれない。


大きな文脈で語ると「障害者芸術」という言葉で括ってしまいがちですが、その過程で大切なものがこぼれ落ちてしまうことがある。特にこうしたシンポジウムの場では、言葉を共有するために便利だからつい使ってしまうけれど、上っ面の議論だけで終わる危険性もある。


今日は小さな会ですから、できるだけ大きな言葉ではなく、目の前のグラデーションに目を向けて話ができたらと思います。

レンズを外すと見えてくるもの

森:
セッションが始まる前に、理事長(越智清仁)から伺ったカメラのレンズの例えがすごく興味深く腑に落ちたんですが、理事長にお話しいただいてもいいですか?

越智清仁(以下、越智):
写実的な絵が描かれるようになったのは、カメラのレンズが発明されてからなんです。現在はレンズから覗くものの見方や表現が普通とされていますが、レンズが発明される以前には全く別の絵が描かれていました。

つまり、人が「これが当たり前のものの見方だ」「これが普通の表現だ」と信じているものは、それ自体が時代や背景、文脈とともに変化する、非常に曖昧なものです。障害のある方が見ている世界と僕らが見ている世界も、同じじゃないと言えます。

小松田:
一人ひとりのものの見方や、つまりは個性をどう捉えるかという話も本当に難しいんですよね。アートを「個性を表現すること」と定義してしまうと、それもまた、それだけでは表し切ることができない。

みんなが一緒に何かをつくる「集合的な表現」だってアートになり得ます。巨大サッカーボードゲームのような”個人の作品”とは言いにくいものだってアートでしょうし、そう思うとアートは個人の天才性だけで語れるものではなく、もっと広く柔らかい概念なんだと思うんです。

むしろ障害者アートという括りそのものが、もう古い考え方なのかもしれないですね

例えば、昔でいうゴッホのように”並外れた個性”を持つ人を語るとき、アートは心の病や生きづらさをポジティブに捉えるきっかけとしても注目されてきました。そうした苦しさが特別な才能につながったというストーリーは、人を勇気づける反面、苦しさを美化したり当事者の多様さを捉えられない危険もある。だからこそ、その固定化された見方から自由になることも、大事だと思うんです。

障害者アートと総称される領域も、実際には「個性」だけでは語りきれない、もっと多様で複雑な背景があるんだと、今のお話を聞いてあらためて感じました。

戸舘:
「感性豊か」という表現もありますが、そもそも感性が豊かだから表現できるわけでもないですよね。人はただそこにいるだけでも違いがあります。ただ「そこにいる」ということも表現の一つかもしれない。その“差異を感じ取る”ことこそ、表現の受け取り方につながるのではないでしょうか?

越智:
一つのコミュニケーションだと思いますね。私たちの仕事は、言葉だけ、作品だけがコミュニケーションではないという前提に立って、いろんな表現の形を促し、支えることです。言葉だけが本質じゃないと伝えていく必要がありますし、周囲の理解も変えていかないといけません。

偶発性や余白が生み出す“関わりしろ”

小松田:
少しだけケアの話に戻すと、ケアは決して「いつも同じ対象に向き合う」だけではありません。時には気が逸れたり、別のことにふと目が向いたりする。その“余白”もケアの一部だと思っています。損得とは関係なく、ただ気が向くという行為もケアなんですよね。

戸舘:
だからこそ、このプロジェクトへの関わり方も、直線的にならないようにしたいですよね。意味や概念も行ったり来たりしていいし、関わりたい人が、自分なりの関わり方を持てることが大事です。

この巨大サッカーボードゲームだって、ルールが変わったっていいし、すき間があっても構わない。そういうあり方で良いと思うし、パラビエンナーレも、複数の動きが同時に起こる「揺らぎ」のある場になればいいですよね。

小松田:
ええ。アートにはそうした余白があって、明確な目的に向かうデザインとは違う曖昧さがあります。その曖昧さこそがアートの魅力ですよね。

戸舘:
偶発性ですね。予期しない出来事に落ちていく感覚。アートである意味は、その”偶然が起こる余白”にあると思うんです。

三幡:
アートを通して思いもよらない状況が生まれたり、知らなかった人同士が出会って、実はどこかでつながっていたことに気づいたり。そうした偶然やつながりを、このプロジェクトを通して広げていきたいですね。

戸舘:
地域のお祭りにも、そういう役割があったと思うんですよ。

三幡:
そうですね。最近のお祭りは、「企画・運営する人」と「楽しむ人」が完全に分かれてしまっていると感じます。

本来は、その場にいる人たちが自分たちのために企画し、運営して、楽しむものでした。でも今は、誰かが“サービスとして提供してくれるもの”になっています。

基調セッションでの岡田さんの話にもつながりますが、昔に戻るのではなく、新しい形で当事者自身がつくって当事者が楽しめるものを作れたらいいなと思います。

小松田:
いまの私たちの社会は、テーマパークのように「お金を払って楽しむ」形にすっかり慣れてしまいました。もちろん、楽しむこと自体は自然なことだし、そこに一定の対価が必要なのも確かです。でも、社会福祉の領域には、それだけではすくいきれない部分がある。ビジネスとして運営する必要がある一方で、「余白」や「対価では測れない価値」が不可欠なんです。

三幡:
私たち社会福祉法人も事業として運営している以上、ビジネス的な視点を無視することはできません。しかし、「共助」や「共生」といった言葉が示すコミュニティのあり方は、資本主義の価値観だけでは捉えきれないものです。

効率や利益を基準に動く社会の中で、助け合いや共生をどう実現していくか。これは多くの人がぶつかっている、とても難しいテーマだと感じています。

小松田:
資本主義は、それ単体では成立しません。自然環境や人間という“土台”に依存して成り立っています。しかし、その土台に負荷をかけ続ければ、資本主義そのものの持続可能性が失われる。これは、理屈を超えて直感的に「このままじゃまずい」と感じる問題です。

そしてアートは、その“直感”に働きかける力があるのではないでしょうか。理屈より先に、何かを受け取らせてくれる。

戸舘:
アートは、小さな仮想空間やバーチャルな体験を通して、実社会でも役に立つ「思考のファイル」を私たちの中につくってくれます。

僕は土谷さん(美術家・KOSUGE1-16の土谷享氏)に出会って、アートの捉え方が変わり、社会を見る眼も大きく変わりました。ぜひ、そのような感覚のアップデートを、今治でも多くの方に経験してほしいと思っています。

セッションを終えて

今回のセッションを通して、特に印象に残ったのは直線的に「唯一の答え」を急がないということでした。言葉や概念の大きさに飲み込まれ、議論が表面的になってしまうことはよくあります。しかし、重要なのは、目の前にある関係性や、一人ひとりの個人の存在にしっかりと目を向けることです。

地域でのケアのあり方も、社会での共生のあり方も、アートを通した表現も、単独で存在するのではなく、互いに絡み合いながら形づくられています。その中で生まれる偶発的な出会いや、計画では説明できない余白の存在こそが、豊かな関係性を育むのだと改めて感じました。

つまり、ルールや枠組みに縛られすぎず、やわらかく揺らぐ空間を受け入れること。それこそが、参加する人たち一人ひとりの創造性や主体性を引き出す鍵なのだと思います。

今回の議論は、地域や社会における関わり方の再考だけでなく、イマバリ•パラビエンナーレがどう存在し、地域とどう関わり、何を受け止めるかを問う、とても示唆に富んだ時間でした。

※今回の記事では、行政機関の標準表記である「障害」に統一しています