2025年11月1日(土)、プレ・イマバリ・パラビエンナーレのプログラムの一つとして開催された「共に生きる社会」を有識者とともに考えるシンポジウム。
この記事では、経営者からアーティスト、行政担当者、研究者と、さまざまな立場を超えて語り合われた基調セッションの様子をお届けします。
<登壇者>
ファシリテーター:
・戸舘正史氏(社会福祉法人来島会 アートプロジェクト監修、四国学院大学 非常勤講師)
パネリスト:
・岡田武史氏(株式会社今治.夢スポーツ 代表取締役会長)
・森真理子氏(厚生労働省 障害者文化芸術計画推進官)
・小松田儀貞氏(秋田県立大学総合科学教育研究センター 准教授)
・越智清仁(社会福祉法人来島会 理事長)
“共生・共助”、“多様性”をキーワードに
戸舘正史氏(以下、敬称略)のファシリテーションのもと、共生・共助、多様性という2つのキーワードを軸に対話が始まりました。排外主義的な動きや分断が見られる現代社会の中で、いかに“共に生きる社会”を築いていくか――その課題意識を共有するところからセッションはスタート。
岡田武史氏(以下、敬称略):
もともとはサッカーを中心に考えていました。でも実際に今治にきて街中を見たら、ドンドビの交差点にデパートの更地があったり、商店街に人がいなかったりして「これは色々やらないと……」と思わされました。そこから一つずつ手を出していったら、どんどん広がっていきました。

(FC今治を運営する)株式会社今治.夢スポーツの企業理念を考えるとき、さまざまな経営者に話を聞くと「ビジョン・ミッション・理念が大事」とみんな言うんです。
僕は環境問題に40年間取り組んできて、社会活動もずっとやってきました。だから「物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する。」という理念を掲げました。目に見えない、人を通じた信頼・関係・共感。そういったものを表しています。
我々は物は持っていないけど、元気や勇気、夢は持っています。そして、そういったもので経済が回っていかないと必ず行き詰まります。地球は有限で、みんなが物質的に成長し続けたら必ずパンクするか、取り合いになります。だから物質的な成長だけでなく、文化的な成長で幸せに生きていく。そういう思いで理念をつくりました。
そして「ベーシックインフラ」と呼べる、衣食住を保障し合う“共助のコミュニティ”をつくりたい。お上(国や行政)に頼って「あれしてくれ、これしてくれ」ではなくて、自分たちで頑張る自律分散型の当事者意識を持つ集まりを目指しています。
企業がそれぞれ独自のストーリーを持って直接民主主義を実践する。「誰かがなんとかしてくれる」ではなく「自分がなんとかする」。それを支える技術も今はあります。
スタジアムの周りは全部畑で、そこで採れたものでフードバンクをつくる。カフェのキッチンに街のレストランからシェフに月1回でも来てもらってみんなで食事をする。修理や大工の仕事をする人にはお礼に仮想通貨を渡す。貯蓄できない“ありがとう”を回す経済です。
これをJリーグやBリーグが中心になって、日本中のそれぞれの場所からやれば、この国が変わるかもしれません。世界が救われるかもしれない。資本主義は格差と分断を生み、民主主義はポピュリズムで揺らいでいます。
だったら共助のコミュニティをつくればいい。持たない、分け合う、共有する。そういうモデルを今治でつくりたいんです。
そのために学校(FC今治高校里山校、以下FCI)をつくり、おもちゃ美術館をつくり、アシさとクラブ(アシックス里山スタジアムを拠点に、 健康・スポーツのイベントを主催しているコミュニティクラブ)やドッグランなど、いろんなことをやっています。
それらを点から面にしてコミュニティとして機能させたい。そういったものをFCIの生徒たちが運営するような仕組みをつくりたいと思っています。
「当事者意識を育む」学校づくり
戸舘:
生徒たちが地域に対して当事者意識を持ち主体的な市民として社会に参加するための教育やカリキュラムが作られているということですね。ちなみに、生徒たちの起業を後押しするような授業もされてますか?

岡田:
もう2人ぐらい、実際に起業していますね。街中でシェアハウスをやるという生徒が一人。もう一人は「たねからゼミ」といって、子どもたちの第3の居場所を商店街でつくっています。
戸舘:
文科省も「主体的な学び」を掲げていますが、現場では難しさもあると思います。FCIではどうでしょう?
岡田:
「上手に」やれているわけじゃないですよ。僕らも答えなんて分からない。教育は本来、社会に出る準備のはずです。なのに、その社会がこれだけ大きく変わっていても、教育だけずっとこのままでいいのかとみんな思っています。でも正解が分からないから誰も踏み出せない。
僕はど素人だから「分からないなら、やってみるしかない。ダメならまた変えればいい」。そんなふうに始めて、子どもたちにもエラー・アンド・ラーンで失敗してもらう。僕らも一緒になって失敗する。毎日が試行錯誤です。でも、その中でどんどん取り組んでいく子どもたちの姿を見ると「これは間違っていないかもしれない」という手応えはあります。
戸舘:
今の若者は「主体性がない」と言われがちですが、FCIの生徒たちは主体性を求められたとき、どう受け止めるんですか?
岡田:
主体性を「持て」とは言いません。FCIでは教員を「コーチ」と呼び、コーチには3つの質問をしてほしいと言っています。
まず「どうしたの?」と聞く。ここでコーチの考えを言ってはいけない。次に「君はどうしたいの?」と聞く。それでも出てこなかったら、3回ぐらい同じ質問をしてあげてほしい。最後に「コーチに手伝えることはある?」と。これを繰り返すんです。
入試のときには、保護者と生徒の前でこう伝えました。「うちのコーチは冷たく感じるかもしれません。『こうしなさい』『こっちに来なさい』は一切言いません。でも必ず寄り添います。誰ひとり見捨てません。保護者の皆さん、子どもが成長する機会を信じてください。途中のセーフティーネットは僕らがやります。最後のセーフティーネットはご家庭でお願いします」と。
主体性と自主性は違う。自主性は組織がやってほしいことを自らやること。主体性は行き先も自分で決めてチャレンジすること。そのために対話を重ね、最後は自己決定してもらう。「こうしなさい」ではなく「自分で決めなさい」。そうすると当事者意識が生まれ、自分で決めたことだから人のせいにしなくなります。
生徒たちは学校に遅くまで残って「この学校をもっと良くするにはどうすべきか」を勝手に話し合っています。そんな光景が生まれてきていますね。

共助の社会に向けて―“違い”を認め合う力
戸舘:
主体性は時に「個人主義」だと捉えられることもあります。共助とは相反するようにも見えますが、その点についてどう思いますか?
岡田:
人間は主体性だけでは生きられません。ホモサピエンスが生き残ったのは、コミュニティを作り、協力したからです。一人では生きられない。だから大事なのは「共通の目的」のために、多様性を受け入れることです。
うちの学校は「主体性」と「多様性」を大切にしています。日本では違いを「間違い」と言うけど、本当は“ただ違う”だけ。サッカーのチームだって全員が仲良いなんて絶対ない。でも「勝つ」という共通の目的があるから互いの違いを受け入れられます。
例えば、生徒同士が殴り合いの喧嘩をしたとして、僕がコーチに言うのは「裁判官になるな」ということです。まず二人に聞く。「明日から毎日殴り合いしたいか?」と。ほとんどが「したくない」と言います。「じゃあどうしたらいい?」と。共通の目的に立ち返って、落としどころを自分たちで見つけていきます。
この主体性と多様性を受け入れ、自分で落としどころを見つける力。この2つがないと生き残っていけないと、生徒には伝えています。
アートを通じて、誰もがつながれる場を
越智清仁(以下、越智):
来島会もFCIと「企業ゼミ(生徒が地元企業と一緒にプロジェクトに取り組む探究授業)」でご一緒させてもらっています。生徒たちはゼミを通して大きく成長している。「自ら変えていこう」というエネルギーの高まりを感じられて、本当に素晴らしいなと。

私たちが取り組むアート事業は、先ほどの岡田さんのお話と共通する部分があると感じています。この事業を通して私たちが実現したい社会のあり方は、言葉を尽くして説明しても、どうしても伝わらないことがある。そこで、体験を通して実感してもらうことが大事だと感じています。
今回の巨大サッカーボードゲームもすごく有効に機能しています。体験をもとにした知識というのは、ただ本を読んで得た知識とは違って、ちゃんと実感を伴うものになる。アートというものが間に入ることで、「体感する」ということができる。
一般的なイメージでは、アートは“造形物をつくるもの”だと捉えられがちで「自分には関係ない」と思う人も多いんです。
でも、このサッカーボードゲームのように、やってみると楽しくて、そこには立場も関係ない。障害があるなしに関わらず、みんながつながれる場になる。そういう場をつくることが、私たちの仕事なのではないかと思っています。

戸舘:
アートとの親和性が高いということですよね。ちなみに、岡田さんのアート観を伺ってもいいですか?
岡田:
アート観は全くないですね(笑)。でも僕は今、東京藝術大学の評価委員をやっているんです。絵を買うこともあって。スポーツには勝ち負けがある。でもアートは、その人がどう感じるか、どう表現するかで、人を分断しない。そういう意味ですごく好きなんです。
「へえ、そう思うんだ」「こう表現するんだ」と、相手と自分が違うことを素直に感じられる。これから大変な時代になりますが、最後に人と人とをつないでいるのはアートのようなものだと思うんです。目に見えないもの、そういうものなんじゃないかなと。
地域にアートや文化が根付いていくためには
戸舘:
地域社会でも自治体が音頭をとってアートを活性化させようとしている動きがあります。最近の流れについて小松田さんはどう思われていますか。
小松田儀貞氏(以下、敬称略):
全国各地でさまざまな取り組みがありますよね。私が暮らす秋田では、大館というところでプロジェクトが進んでいますね。ただ、どの地域でも共通しているのは“上から仕掛ける”ようなやり方ではどうしても限界があるということなんです。

今日、岡田さんのお話を伺って、本当に感服しました。包括的で多様な論点が含まれていて、文化をつくることの難しさをあらためて考えさせられました。
文化というのは、もともと人間が作ったものだけれども、あとからやってきた人間にとっては“既に作られた文化”なんですね。歴史や伝統として受け継がれる文化はわかりやすい一方で、それを壊すわけではないにしても、変えたり更新していくということは非常に難しい。ただ、そこが大事なところだと私は思っています。
サッカーの話で、私が印象深く覚えている言葉があります。女子サッカーの宮間あやさんが、2011年の東日本大震災の年にワールドカップで優勝し、大ブームになった数年後、人気が落ち着き始めた頃に言った言葉です。「女子サッカーをブームではなく文化にしたい」。これが非常に印象的でした。
とても大事な視点だと思っています。例えば教育の観点でも、子どもたちが自然にサッカーを楽しみ、「将来自分もああなりたい」と憧れるような環境をつくること。それが文化を育てるということなんですね。宮間さんは深く考えた上で言ったのだと思いますが、非常に強い言葉でした。
今日の岡田さんのお話も、一見難しいことを言っているようで、実は本質はシンプルなんじゃないかと感じています。盛り上がることはある、でも「文化」にするのはもっと難しく、そして大切。その点について、あらためて岡田さんに伺いたいです。

岡田:
そうですね、「文化を作ろう」と思って作っているわけではないんです。僕らが今治に来て11年になりますが、最初は「お前に何ができるんだ」「どうせ続かない」と散々言われました。でも地道にやり続けて、少しずつ変わっていった。「孫の手活動でも何でもします」と言って、人と人の心の中にFC今治という存在が入り込んでいった。そこからJリーグに入り、J3、J2と上がっていくにつれて、FC今治を誇りに思ってくれる人、生きがいに感じてくれる人も増えていった。
文化って、下積みが大事なんです。いきなり来て点を取って優勝しても、それは文化にはならない。大切に思ってくれる人たちがいることが文化を支えます。
ちなみに、本拠地のアシックス里山スタジアムには柵がありません。「危ない」「芝生が荒らされる」と施工会社にも最後まで言われました。でも「柵は作りたくない。みんなが大切にしたいと思うスタジアムに育てるから大丈夫」と突っぱねました。そして実際、誰も芝生に入らないし、荒らされることもありません。たくさんの人がFC今治を大切に思っているから、スタジアムも大切にしてくれます。僕はこれが文化だと思っています。
大風呂敷を広げることこそ、アートの役割
森真理子氏(以下、敬称略):
私は今は、厚生労働省で働いていますが、もともと現場で長年アートプロジェクトに関わってきました。

京都の舞鶴市では、美術家の日比野克彦さんと一緒に「船をつくるプロジェクト(種は船プロジェクト)」に取り組んでいました。舞鶴と今治は、造船業や漁業が盛んであったり、城下町であることなど、土地の成り立ちや商店街の雰囲気など、どこか似ているところが多いと感じました。
そんな多様な背景のある地域のなかで計画していくときに、地域特有の課題や、立場による考えの違いなどが見えてきます。その中で日比野さんが「みんなで船を作って航海をする、なんて大風呂敷を敷くようなものだから」と言ったんですね。
でも、その“大きな風呂敷を広げる”ことこそが、立場や役割を超えていくアートの役割なんだとはっとさせられました。
小さな船をつくって、舞鶴から新潟まで日本海を航海する――そんな大風呂敷のプロジェクトを、国内で3か月かけて行い、何千人という方が関わってくれました。
アートの持つ力というのは、上下も横の垣根もなく、“ぽん”と何かを置くことで、みんなが一つの場を共有することができる。そこに行くと楽しいし、実現したいと思える未来がある――その“期待”が、現場のプロジェクトを支えていたんだと強く感じています。
戸舘:
岡田さんも同じことをされていますよね、大風呂敷を広げて。
岡田:
僕は大風呂敷じゃない、ホラですよ(笑)。

「岡田と付き合っていると、『夢とホラは一緒だ、妄想だ』と言われちゃうんです。
戸舘:
アートも妄想かもしれないですね。
越智:
来島会としての大風呂敷は、いわゆる福祉サービスをやっているというだけではなく「世の中をよりよく変えていくこと」を掲げていることと言えますね。
福祉という言葉自体が「幸せ」「よりよくする」という意味合いがあるので、そういう風に変えていきたいと思っています。ただ、そこに感動してくれる人って、いきなりそんな大風呂敷を広げられても……、と感じると思うんですね。
やはり、その中で体験を通じて感じてもらうことがすごく大事だと思っていて。「問い」自体が、「この介護をどうやってやればいいのか」という問いじゃなくて、その人自身の人生や、その人の周りを含めた社会をどう変えていくのか、という問いに変えていくことが重要だと思っています。
みんな「自分の力じゃ世の中は変わらない」と思っています。でも、自分の力で世の中が変わると思う人が増えれば、社会は変わるだろうと。だからこそ、一人ひとりの問いが変わっていけば、世の中を変えられる方向性につながるんだろうなと信じています。
森:
このパラビエンナーレも、まさに「大風呂敷」の役割ということですね。
一見完成形が見えないものもアートになる
戸舘:
小松田さんは、芸術に対して批評的な視座をお持ちですけど、どうですか?
小松田:
そうですね、この巨大サッカーボードゲームがアートかどうかは確かに考えました。それを考えていく上で、美術家の藤浩志さんの「OS(パソコンの基本ソフトウェア)」とアートを同じものとして捉えることができる、という言葉が思い浮かびました。人と人を繋げる機能はあるけれど、それだけを伝えても実際どうなるのかは分かりづらいです。
料理をする人は分かると思いますが、レシピが分かればその料理ができるわけではないのと一緒です。実際に作ってみないと上手くいくかどうか分からないし、茹で時間だって温度で変わる。
それと同じで、完成形が見えないアートのあり方があって、このサッカーボードゲームも体験を通して人と人との繋がりが生まれることで完成するアートと言えますよね。
そう考えると、いわゆるアートではないものもアートに見えてきます。妄想が広がるようなことがあるんですね。
僕もここに来て、直接体験するまでは分からないことがありました。でも実際に触れて、この場に立ってみると、今言ったようなことがあらためて頭に浮かびました。

ケアを「みんなでするもの」に
小松田:
「ケア」という言葉がありますよね。今日の話の中で「ケア」という言葉はあまり出てきませんでしたけど、すごく大事だと思っていて。
介護=ケアではないですよね。ケアとは「関心を持つ」「気にする」ということですが、すごく限定的に捉えられてきた。「ケアをみんなで共有する」という視点。来島会さんはどのように捉えていますか?
越智:
前提として、私たちだけではケアのリソースは限られています。社会自体がケアできる世界にしていくことはすごく大事なんです。
私たちの仕事は、ただケアをするだけではなくて、ケアをする人を増やすことであったり、さらに大きな役割を担っていかないといけません。今のままだと施設を増やすことが目的になってしまう。でもサービスが増えたところで、何かが大きく変わるわけではない。考え方自体を変えていく、もっと視野を広く持ち、どう広がりがあるのかを考えているんです。

小松田:
そういう意味で、岡田さんが言われていたことは「教育のケア」という感じがすごくしたんですよね。自分に関心を持つのは普通だけど、自分だけに関心を向けていると他者に関心を持たない。他者に関心を向けることでケアにつながります。
そのことが、今日の話でも共通しているように感じました。アートという言葉を使うとこぼれるところが出てきます。アートとケアという問題の立て方をすると、福祉も教育もつながるという感じがしたんです。
戸舘:
教育とケア、岡田さんはどのように考えますか?
岡田:
僕の考えているベーシックインフラや共助のコミュニティの原点は、大阪の下町なんです。
近所の人が「ご飯食べていきなさい」と言ってくれたり、隣の家に味噌や醤油を貸したり、そんなやり取りが平気でありました。障害のある子もガキ大将も、みんな一緒に遊んでいました。
効率を考えると「子どもはこっち、お年寄りはこっち」と分けてしまう方向になりがちですが、現代はAIやICTの力を使って、一見昔に戻っているように見えて、実は一段上がったコミュニティにできるのではないかと考えています。AIの力で後押ししながら、そこにいる人たちが誰でもつながれて、コミュニティになって、みんなでケアをする。そういうことができないかと考えています。
地域の文化をどう支え、つなげていくか
戸舘:
ケアを拡張していくという点については、行政としても関わりのある森さんにもぜひお話していただきたいです。
森:
岡田さんたちがおっしゃったような「国・行政=お上(おかみ)」というような感覚が日本全体で見るとまだあるように感じることがあります。
ただ、自治体や国の制度というのは、行政だけで考えるものではなく、現場の声や取り組みを反映しながら実現していくものだと思います。上下構造みたいな認識ではなく、自治体や行政がパートナーとなって、現場とともに考え、更新していけると良いですよね。

戸舘:
「文化をつくる」という話がありましたが、文化が生まれる前に先んじて市民の活動があって、そこをどうつなげて面で広げていくかが行政の役割だと思います。お上がつくるのではなく、市民一人ひとりの当事者意識で文化をつくっていく。そういった営みのなかで「共助の社会」にもつながっていくんだと感じますね。
セッションを終えて
教育、福祉、アート、そして地域づくり。
それぞれ異なる領域の実践が交わり、「共助と多様性を軸とした社会のあり方」を立体的に描き出した基調セッション。
アートは人と人を結ぶ“しかけ”であり、ケアは誰かの専門領域ではなく社会全体で担うもの。教育も福祉も文化も本来つながっており、地域の未来をつくる力は、その接点の中にある。まちと文化のこれからを考えるうえで、多くの示唆を残す対話となりました。

※今回の記事では、行政機関の標準表記である「障害」に統一しています

