私たちは普段、どれくらい「自分とは違う誰か」と出会っているのでしょうか。
学校や職場、家庭や地域。日々たくさんの人と関わっているようでいて、実は似た価値観や属性の人たちと過ごす時間のほうが多いのかもしれません。
障害のある人とない人。子どもと大人。地域で暮らす人と外から訪れる人。違う背景や経験を持つ人たちが自然に出会い、共に時間を過ごす機会は、決して多くありません。
2026年5月20日、第一回イマバリ・パラビエンナーレのキックオフとなるトークイベント「地域社会でアーティストができること——多様性と共生を考える」を開催しました。
イマバリ・パラビエンナーレは、私たち社会福祉法人来島会が主催するアートプロジェクトです。登壇したのは、美術家、音楽家、福祉実践者など、それぞれ異なるフィールドで活動するアーティストたち。しかし、この日語られたのは、「アート作品をどうつくるか」ではありませんでした。
◆参加アーティストおよびトークイベントゲスト
・土谷享(KOSUGE1-16/美術家)
・磯崎道佳(美術家)
・片岡祐介(音楽家)
・ぬか つくるとこ(生活介護事業所)
中野厚志、丹正和臣
・有門正太郎(俳優・演出家・劇作家/イベントゲスト)
・戸舘正史(アートマネジメント・文化政策/ファシリテーター)
むしろテーマになったのは、「人と人がどう出会うのか」「違いのある人たちがどう共に生きていくのか」という問いでした。
イマバリ・パラビエンナーレは、これから何を目指していくのか。そのはじまりの時間をレポートします。
「アート」は、人と人をつなぐためのきっかけ
イベントの冒頭、来島会理事長の越智清仁は、福祉法人がなぜアートに取り組むのかについて語りました。
私たちの社会は、かつてないほど便利になりました。スマートフォンひとつで買い物ができ、AIが文章を書き、効率化や合理化が求められる時代です。
一方で、「失敗してはいけない」「迷惑をかけてはいけない」「ちゃんとしなければならない」という空気も強まっているように感じます。
そんな社会のなかで、障がいのある人たちと関わると、思い通りにならないことや予測できない出来事に日々出会います。けれど、その「予定調和ではないこと」のなかには、人と人とが共に生きるための豊かさや面白さが隠れている。越智さんは、そうした実感をもとにアートへの期待を語りました。

昨年度から実施してきた地域文化講座や巨大サッカーボードゲームなどのプレイベントでも、福祉や教育、文化といった分野の垣根を越えて、多様な人たちが同じ場を囲みました。
そこにあったのは、何かの肩書きや立場ではなく、一緒にその時間を楽しむ関係でした。
作品を鑑賞すること。
誰かと対話すること。
一緒に何かをつくること。
アートには、人と人との間に新しい接点を生み出す力があります。そして、自分とは異なる視点や背景を持つ人の存在に気づかせてくれる力があります。
イマバリ・パラビエンナーレでは、アートが持つそうした可能性を信じながら、多様な人々が出会い、関わり合う場を地域のなかに育んでいこうとしています。
「街まるごと公民館」を目指して
イマバリ・パラビエンナーレが目指しているのは、新たに大きな文化施設や居場所をつくることではありません。むしろ、すでにこのまちのあちこちに立ち上がっている実践を、今治の文化としていくことにあります。
今治には、学校、公民館、商店街、シェアキッチン、コミュニティスペース、福祉施設など、それぞれの場所で、人が集い、語り合い、日々の暮らしが営まれています。
けれど、そうした実践同士が、必ずしもつながりあっているわけではありません。だからこそ来島会が目指すのは、互いの違いを保ちながらもそれらが今治全体の文化として広がっていく「街まるごと公民館」という構想です。

今年8月には、室屋町に「私設公民館ガッチャンコ」を開設します。ここで私たち自身も福祉を街にひらく取り組みを実際に積み重ねながら、同時にすでに各地で実践している人たちともゆるやかにつながっていく。その往復の中で、取り組みを街全体へと広げていくことを目指します。
学校帰りの高校生がふらりと立ち寄る。福祉事業所の利用者が顔を出す。地域のお年寄りがお茶を飲みにやってくる。そこへアーティストや地域で活動する人たちも加わる。
そんな何気ない出会いが、特別なイベントではなく、日常の風景として街のあちこちで生まれていく。イマバリ・パラビエンナーレが描こうとしているのは、そんな地域の姿です。
近年、「目的がなくても立ち寄れる場所」や「自分と関係のない他者が同じ空間にいることを前提にできる場所」は少なくなっているように感じます。いわゆるサードプレイスのような場所にも、一定の消費行動や役割が前提としてあります。だからこそ、アートを介して生まれる対話や出会いには意味があります。
作品をつくることだけではなく、一緒に手を動かしたり、話をしたり、誰かの表現に触れたり。あるいはただそこにいることも含めて、多様なかかわり方ができることに、アートの重要な役割があると考えています。

イマバリ・パラビエンナーレが目指しているのは、芸術祭の開催だけではありません。
アートを通じて人と人との関係性を育み、多様な人々がゆるやかにつながる地域の土壌を耕していくこと。その挑戦は、文化活動であると同時に、これからの地域社会のあり方を問い直す試みでもあります。
パンづくりから始まる共生のかたち
イマバリ・パラビエンナーレでは、複数のアーティストが福祉事業所や地域の人々とともにプロジェクトを進めていきます。
その一人である美術家・磯崎道佳さんが就労継続支援B型事業所「麦の穂」、放課後等デイサービスの「なかよし学童くらぶ」、そして地域活動支援センター「こぱん」と一緒に取り組んでいるのは、「今治カンパーニュをつくるプロジェクト」です。
きっかけとなったのは、来島会が運営する農園「だんだんファーム」で行われるシャインマスカットの摘果作業でした。果実を大きく育てるために摘み取られる、まだ小さな実たち。通常であれば廃棄されるそれらから天然酵母を育て、カンパーニュを作ってみたらどうだろう?
そうして2024年度には、来島会で果物を採集し、北海道在住の磯崎さんへ送付。受け取った果物をもとに磯崎さんが天然酵母を起こし、その酵母でカンパーニュを焼く。そして焼き上がったパンを再び来島会へ送り返してもらい、オンラインで両者をつないだ試食会を行いながら、互いの様子や日々のことを語り合う。そうした往復のプロセスを重ねてきました。

そして2026年度、このプロジェクトは新たな展開として、実際に今治での酵母づくりとパンづくりへと踏み出していきます。
「天然酵母は生き物です。毎回同じようには発酵しません。うまく膨らむ日もあれば、思ったような仕上がりにならない日もある。効率や均一性を求める現代社会の価値観から見れば、不便なものかもしれません。しかし、その不確かさこそが面白いんです」
そう語る磯崎さんの言葉は、どこか人との関わり方にも重なります。
私たちはつい、物事を効率よく進めようとしたり、同じ結果を求めたりしてしまいます。けれど、人は一人ひとり違います。考え方も、得意なことも、苦手なことも違う。だからこそ、ときには思い通りにならないこともあります。
しかし、その違いを排除するのではなく、「面白い」と受け止めてみる。そこから新しい発見や関係性が生まれることもあるのではないでしょうか。
焼き上がるパンは、一つとして同じ形にはなりません。けれど、その不揃いさは失敗ではなく、それぞれの個性でもあります。

捨てられるはずだった果実から酵母が育つように、一見すると価値がないと思われていたものの中にも、まだ見ぬ可能性が眠っている。磯崎さんのカンパーニュづくりは、そんなことを静かに問いかけているようにも見えます。
共生とは、みんなが同じになることではありません。
違いを抱えたまま、一緒に生きていくこと。
パンが発酵するのを待つように、人と人との関係もまた、ゆっくりと時間をかけて育まれていくものなのかもしれません。
身近で見過ごしがちなモノに、耳を澄ませる
音楽家の片岡祐介さんが取り組もうとしているのは、多機能事業所「ふきあげワークス」と一緒に「現代民俗音楽」をつくるプロジェクトです。民俗音楽というと、昔から地域に伝わる祭り囃子や民謡を思い浮かべる人も多いかもしれません。
しかし片岡さんが関心を寄せているのは、もっと身近な「今、この場所で鳴っている音」。
作業の音。利用者やスタッフの話し声。廊下を歩く足音。機械が動く音。私たちは普段、それらを「音楽」として聴くことはありません。むしろ雑音として聞き流してしまうことの方が多いでしょう。
けれど片岡さんは、その何気ない音のなかにこそ、その土地や人々の暮らしが刻まれているのではないかと考えているのだそう。
片岡さんは現在、来島会の事業所に足を運びながら、利用者やスタッフとの関係づくりを進めています。まずはその場に身を置き、人と出会い、時間を共有しながら、この場所ならではのリズムに耳を澄ませていくためです。

私たちは普段、「何か新しいものを生み出すこと」に価値を置きがちです。けれど片岡さんの活動は、アートとは必ずしも何かを付け加えることではないと教えてくれます。
見過ごしていたものに気づくこと。聞こえていたはずなのに、聞いていなかった音に耳を澄ませること。当たり前だと思っていた風景を、もう一度見つめ直すこと。
そうした視点の変化そのものも、アートの力の一つなのかもしれません。そして、それは地域を見る眼差しにもつながっています。
私たちが暮らすこの街には、まだ名前の付いていない魅力や価値がたくさん眠っています。片岡さんのプロジェクトは、そのことを「音」を通して教えてくれる試みでもあるのです。
「なんでそんなん?」を面白がる
イベントでは、岡山県の福祉事業所「ぬか つくるとこ」の実践も紹介されました。その名も、「なんでそんなんプロジェクト」。
日常のなかで起こる不思議な出来事や、思わず首をかしげたくなるような行動を発見し、愛おしむ気持ちを持って共有する取り組みです。
特に福祉の現場では、ともすると「問題」や「課題」として整理されてしまう出来事があります。けれど、その出来事を少し違う角度から見てみると、そこには人間らしさやユーモア、そしてその人ならではの豊かな発想が隠れていることがあります。
「なんでそんなことするんだろう」
私たちは普段、この問いに対して理由や原因を探そうとします。けれど、「ぬか つくるとこ」の皆さんは、その問いを少し違う形で受け取ります。
理解しようとする前に、まず面白がってみる。正そうとする前に、興味を持ってみる。すると、それまで見えていなかった相手の魅力や可能性が見えてくるのだといいます。

そんな「ぬか つくるとこ」とタッグを組むのが、多機能型事業所「ジョブサポートセンターここすた」です。トークの中では、両者の交流から生まれた“かんぱいプロジェクト”についても共有されました。
この取り組みが始まったのは、「まずはお互いの事業所の人たちで仲良くなりたい」というシンプルな願いからでした。何か大きな事業を一緒に始めるのではなく、まずは互いのことを知り、一緒に面白がれる関係をつくりたい。
その中で生まれたのが、「まずはお互いに呼んでほしいニックネームを考えよう」というやりとりでした。
ここすたの職員の中にお酒好きのスタッフがおり、その存在がきっかけとなって、その人に「KP(かんぱい)」というニックネームがつけられます。そうしたやりとりも含めて、関係性そのものが少しずつほぐれていきました。その延長線上で、「ぬか つくるとこ」から提案されたのがオンライン乾杯会です。参加者たちは、それぞれ「最近うれしかったこと」や「誰かに祝ってほしいこと」を持ち寄ります。
「子どもが入学を迎えた」
「今日ちょっといいことがあった」
そんな個人的な喜びも、みんなで乾杯をすると少し特別なものになります。画面越しではあっても、一人ひとりの出来事や感情が共有され、その人らしさがゆるやかに伝わっていく時間が生まれていました。
さらに印象的だったのは、「次回までに乾杯の口上を考えてきてね」という呼びかけに対して起きた出来事です。あるスタッフは、乾杯の音頭そのものではなく、「乾杯の練習のための小道具」を作ってきたのだといいます。

課題への答えとしては少しずれているのかもしれません。けれど、その発想は参加者たちの笑いを誘い、会話を広げ、新たな交流を生み出しました。
求められた正解に応えることよりも、その人らしい発想が歓迎される。少しはみ出したアイデアが、「それ面白いね」と受け止められる。そんな空気のなかで、人は安心して自分を表現できるようになるのかもしれません。
実際に、「ジョブサポートセンターここすた」のスタッフからは、「普段はあまり人前に出ない人が自然に表現していた」「場の雰囲気が少しずつ柔らかく変わってきた」といった声も共有されました。
物事を見る角度を少し変えてみること。
当たり前だと思っていた価値観を問い直してみること。
そして、自分とは違う誰かの“なんでそんなん?”を面白がってみること。
「ぬか つくるとこ」の実践は、そんな姿勢そのものが創造性であり、アートの営みなのだと教えてくれているようでした。
「アートかどうか」よりも、“人間らしく生きる”こと
トークの終盤、「そもそもアートとは何か」というテーマにも議論が広がりました。
美術家の磯崎道佳さんは、「人は、生きるためだけではなく、何事にも“余白”や“ユーモア”を持ち込む存在。だから人間の営みには、そもそもアートが含まれている」と語ります。
また、「僕ら(アーティスト)がやるべきことは、世の中にあるいろんな出来事を、ユーモアで締めていくこと」という言葉には、登壇者も深くうなずいていました。

この日のトークイベントで繰り返し語られていたのは、「アートで地域や社会の課題を解決する」といった大きな言葉ではありませんでした。
むしろ、失敗を笑い合うこと。違いを面白がること。誰かの話に耳を傾けること。知らなかった世界を教えてもらうこと。そして、自分の中にある「当たり前」を少しだけ揺らしてみること。
そんな小さな実践の積み重ねであり、どのプロジェクトにも共通していたのは、目の前にあるものを別の角度から見つめ直そうとする姿勢でした。
アートは、特別な誰かのためのものではありません。作品を鑑賞するときだけに存在するものでもありません。
人と人との間にある見えない壁を少し低くしたり、自分とは異なる価値観に出会うきっかけをつくったり、ときには見過ごしていた地域の魅力に気づかせてくれたりする。
イマバリ・パラビエンナーレが取り組もうとしているのは、そんなアートの力を地域のなかで育んでいくことだと改めて感じています。

これから来年2月の会期に向けて、さまざまなアーティストが今治に関わり、多くの人たちとの出会いを重ねていきます。
その先にどんな景色が生まれるのか。どんな関係が育まれるのか。
それは、まだ誰にもわかりません。けれど、この日の会場には確かに、新しい出会いの予感がありました。
これから今治のまちのなかで蒔かれていく小さな種が、どんな風景を育てていくのか。その歩みを、私たちもまた見守っていきたいと思います。

