「アクを100%取ったら、雑味がゼロになっちゃう。それじゃあつまらないよね」
私たちは知らず知らずのうちに、効率や分かりやすさ、そして「均質であること」こそを正しいものとして受け入れてしまっていないでしょうか。
どこに行っても同じ味、誰が作っても同じ形。その安心感と引き換えに、私たちは一人ひとりの「個性」や、人間らしい「雑味」を排除してしまっているのかもしれません。
アーティストの磯崎さんが「カンパーニュプロジェクト」を通じて取り組んできたのは、まさにこうした現代の均質化に対する、ささやかな問いかけです。
今治にある果実や麦、塩を使い、1個ずつ形も味も違うパンをみんなで楽しむ。そこには、誰もが自分の存在を肯定できる場づくりのしかけがありました。
今回は、パン作りを通して立ち上がる「個性」から、共に生きる社会の豊かさについて考えていきます。

磯崎道佳(イマバリ・パラビエンナーレ参加アーティスト)
1968年水戸生まれ。北海道ニセコ町在住。 主な活動、「パラシュートとマキオ」(2002〜)。「ぞうきんぞうプロジェクト」(2004〜)。「DOMEプロジェクト」(2005〜)。「笑う机」(2012〜)。「Heart of Gold」(2021〜)。自生する果物から酵母を作る天然酵母パン・プロジェクト(2020〜)など
「オール今治」のパン作り
——磯崎さんと来島会とのご縁は、もう3年になります。カンパーニュづくりをライフワークとされてきた磯崎さんと、就労継続支援B型事業所「麦の穂」での取り組みが、このプロジェクトの始まりでした。
きっかけは、美術家の土谷享くんが引き合わせてくれたことでした。最初は、「麦の穂」のみなさんに摘果してしまうシャインマスカットや甘平などの未熟な果実を集めてもらって、それを北海道の僕のもとへ送ってもらうところからでした。
届いた果実で天然酵母を起こして、カンパーニュを焼き上げる。そして、そのパンを今度は今治へ送り返して、オンラインでつなぎながら一緒に味わう。
普段は農園作業に丁寧に取り組んでいる利用者さんたちが、自分たちの手で摘んだ果実から生まれたパンを囲み、一緒に味わう。「このパン、こんな香りがするね」「この果物がこんな風になるんだね」と話をする時間が、とても豊かでした。
今回は3年目になりますが、これまで以上に「今治でしかできないパン」を目指しています。
——「今治でしかできないパン」?
素材ですね。できることなら、「オール今治」でつくりたいと思っています。
カンパーニュというのは、本来、フランスの各地方で日常の主食として焼かれていた素朴なパン。材料は、その土地で手に入る小麦粉、ライ麦、塩、酵母という、ごくシンプルなもの。田舎パンとも言いますね。色々な料理と一緒に食べるものなんです。毎日食べるからシンプルなんですよね。
実は今治には、そのカンパーニュづくりに欠かせない素材がそろっています。柑橘などのフルーツからは天然酵母を起こすことができ、昔ながらの製法(流下式枝条架併用塩田)を受け継ぐ「伯方の塩」の塩づくりがある。
何より面白いのがはだか麦の存在です。愛媛県ははだか麦の生産量が日本一なんですよね。でも、グルテンが少ないから膨らみにくくて、パンにはあまり使われてこなかった。だったら、本当に使えないのか試してみようと思ったんです。
小麦に2割ほどはだか麦を混ぜて焼いてみると、これが驚くほど香ばしくて、おいしかった。パンの食感にも奥行きが出るんです。
果実があって、はだか麦があって、塩がある。日頃、北海道で暮らす僕からすると、この組み合わせは本当にぜいたくなんですよ。
「この土地だから、このパンが焼ける」。そんなパンを今治で作りたいと思っています。

活動の裏にあるまなざし
ーみんなで集まってパンを焼く活動はとても楽しいものですが、その入り口の先には、どのようなメッセージが隠されているのでしょうか。
やっぱり、みんなで美味しいパンを焼いて食べるって、純粋に楽しいじゃないですか。でも、その裏には僕なりの「近代批判」の目線が一貫してあります。
プロジェクトの核にあるのは、果実からおこした天然酵母を使うこと。天然の酵母は、本当に気まぐれなんですよ。気温や湿度、その日の状態によって、発酵の進み方も違えば、香りも味も変わる。同じレシピで焼いても、毎回違うパンが焼き上がります。
だから、効率や安定した品質を求める商業的なパンづくりには、あまり向いていません。でも、僕らは大量生産を目指すような商売をしているわけではない。だからこそ、その「不安定さ」を大切にしたいんです。

毎回違うこと。一つとして同じものができないこと。
目指しているのは、パンに「個性」がある状態です。1個1個、焼き上がりの大きさも味も、毎回違う。その不均一さこそが、僕にとっては「個人の存在証明」になるなぁと思っていて。
今の世の中、「多様性多様性」と言いながら、食に関してはコンビニみたいに日本中どこに行っても均一化された同じ味ばかりでしょう。だから僕は、中身よりもむしろ、世間から排除されがちな「アク」や「雑味」のほうに親近感があるし、そこに人間らしさがあると思うんです。
僕の作品は、今の社会に対して「本当にそれでいいのかな」と考えるところから始まることが多いんです。アートって、新しいものを作るだけじゃない。今ある価値観を少し疑ってみることでもあると思うんです。
パンもそう。
「均一じゃないと価値がない」という考え方を、少しだけ揺らしてみたい。だから僕にとっては、カンパーニュプロジェクトも一つの作品なんです。
スイーツが持つ「コミュニケーションの魔力」
——そもそも、磯崎さんが「食」を通じた活動に至った原点はどこにあるのでしょうか。
高校生の頃の話です。昼休みに女の子たちが机を並べて、手作りのクッキーやケーキをシェアしながら楽しそうに喋っているのを見て、「いいなあ」と思ったんですよ。
僕の母親がケーキ作りが趣味だったこともあって、あるとき、自分でもレシピ通りにケーキを焼いて学校に持っていってみたんです。お弁当の時間、その女の子たちのグループに「ケーキ焼いてきたんだけど、食べる?」って。
そしたら、それまで一言も喋ったことがなかった女の子たちが「磯崎くん、美味しい!」って喜んでくれて、自然とその輪に入ることができた。もしこれが「肉じゃが煮てきた」「トンカツ揚げてきた」だったら、絶対に食べてもらえなかったと思う(笑)。
ケーキやスイーツ、そしてパンというものは、人と人との豊かな会話を生み出す特別なコミュニケーションツールなんだと、そのとき強烈に実感したんです。
学校をサボってよく行ったミスタードーナツでもそう。当時のミスドってオールディーズが流れていて、みんなドーナツ1個とコーヒーだけで何時間も粘って豊かな会話を交わしている。でもこれが定食屋だったら、食べ終わったらすぐに出なきゃいけない。
スイーツという「言い訳」があるからこそ、人はそこに留まり、豊かな交流が生まれるんですね。

——そうした発想から、カンパーニュづくりに繋がっていったんですね。
コロナ禍の北海道白老町で、地元のハスカップを使って立ち上げたのが、初めてのカンパーニュプロジェクトでした。当時はコロナ禍の真っ只中で、人が対面で集まることが一切できなかった。地域のコミュニティが完全に分断されそうになっていたときに、「じゃあ、会えないままでもみんなで繋がれるサークル活動を作ろう」と考えたんです。
そこで、町特産のハスカップをみんなに配って、自宅でそれぞれボトルに詰めて酵母を育ててもらうことにしました。「今、うちの酵母はこんな感じです」「レシピ通りにやったらこうなりました」とネット上で情報交換をしながら、各家庭でパンを仕込む。そして、ようやく動けるようになったタイミングで、お互いに自分で焼いたパンを持ち寄って食事会を開いたんです。
パン作りという「集まるための言い訳」を用意して、人を巻き込んでいく。やってることは高校時代からずっと変わらないのかもしれません(笑)。
「アート」という枠を飛び出して、一つの生活様式へ
——今回のイマバリ・パラビエンナーレでも、すでに来島会の施設ご利用者様や子どもたちを巻き込んだ仕掛けが始まっていますね。
大三島の柑橘から20本ほどの酵母を仕込んで、施設の利用者さんや子どもたちに渡しました。お母さんへの手紙を添えて、各ご家庭で2週間育ててもらう。そうやって、自分の手で触って、家庭ごとに違う育ち方をしていくプロセスそのものが大切なんです。
僕が全部決めすぎちゃうと面白みがない。だから今回の活動でも、皆さんが入り込めるような「余白」や「曖昧さ」をあえて残すようにしています。出たとこ勝負で、どう育つか分からない部分が必要なんです。
これから「せとうちみなとマルシェ」などで、地域の人たちとの接点も意識しながら、来島会の利用者さんだけでなく、今治の街の人たちをも巻き込んだ活動にしていけたらと思っています。
僕らが作るパンは、形も大きさもバラバラです。でも、それを見た人たちが「あ、これがあの酵母から育ったパンなんだね」と、不均一さを面白がりながら手に取ってくれる。そんなふうに、一つひとつの違いを面白がりながら受け止めてもらえることが、このプロジェクトの一番の醍醐味なのかもしれません。

——このプロジェクトが、これから今治の街にどう根付いていってほしいですか。
一過性のイベントではなく、一つの継続的な「社会活動」にしていきたい。一番最高の形は、わざわざ「これはアートのプログラムです」なんて言わなくて済むようになること。
地域のお祭りとか、餅投げをするのと同じくらいのレベルで、みんなが当たり前のように集まってカンパーニュを作る。アートという言葉を使わずに、それが街の「行事」であり、みんなの「生活」そのものになっていくこと。
アートかどうかという問いに対峙するのは僕個人の問題であって、街の人たちにとっては、バラバラな個性を面白がりながら、地元の美味しいパンをみんなで笑顔で食べる。そんな光景がこれからの今治に当たり前に溶け込んでくれたら、大成功だと思いますよ。
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「不均一さ」は、効率や品質を重視する社会では、時に欠点と見なされるかもしれません。でも磯崎さんは、その揺らぎや予測できなさの中にこそ、人らしさや土地らしさが宿るのだと話してくれました。
カンパーニュプロジェクトが目指すのは、地元の素材でパンを焼き、それをみんなで味わうという営みが、街の風景として少しずつ根付いていくことです。「今日はパンを焼こう」と自然と人が集まり、その時間を楽しむことがやがて地域の文化になっていく。そんな未来を思い描きながら、このプロジェクトは続いていきます。
このインタビューが、あなたもその場に加わってみたくなる、小さなきっかけになればうれしく思います。
