動員される「ウェルビーイング」(エッセイ「社会に雑味を取り戻せ」2026年6月号)

書き手:戸舘正史
社会福祉法人来島会アートプロジェクト監修/アートマネジメント・文化政策

「ウェルビーイング!って言えばいいと思ってるだろう!」と、私は梅雨空に向かって叫びたい気持ちでいっぱいです。闇雲にワンチャンなる若者言葉を口にしてみるオッサンに遭遇した時の残念な気分にも近いものがあります。それくらい連日(とは言い過ぎですが)耳にすることが多くなっている言葉です。

「ウェルビーイング」という言葉自体は日本では1990年代初頭から社会福祉の分野において受動的なウェルフェア=福祉をアップデートし能動的に福祉を獲得する概念として議論の俎上にあがっていたようですが、同時期に日本でも批准された子どもの権利条約では原文で使われている「wellbeing」はシンプルに「福祉」や「幸福」と訳されていました。近年の「ウェルビーイング」の隆盛は安倍政権の「骨太の方針」のなかで言及されたことが大きく影響していると思われます。同時にQOLつまり生活の質を重視し働き方改革のような具体的な実践と連動して社会に定着していったと言えるでしょう。

1970年代後半に経済的かつ物質的な豊かさから「心の豊かさ」への転換が目指されたことを思い出しますが事情はちょっと違います。2021年の国の「成長戦略実行計画」では「持続可能な経済成長」のために心身の健康や幸福、生活の質の向上の実現が必要というロジックになっているからです。例えば最近話題にもなりましたが、国立博物館・美術館の本質的な機能を無視し過度に稼ぐことを求める文化政策の背景に経済至上性があるように、国の様々な領域の政策のなかで謳われる「ウェルビーイング」は経済成長と結びつけて位置づけられたようにうかがえます。それは経済成長が「ウェルビーイング」を作っていく(?)というよりも「ウェルビーイング」な国民が作られることによって経済成長をするというふうに読めるものです。もちろん「ウェルビーイング」の向上を目指した新たな政策が推進されていく側面もあります。福祉政策としては「地域共生社会」の実現のための重層的支援体制整備事業や子育て・若者支援に関わるこども家庭庁の諸政策などが挙げられるでしょう。つまり文脈によって柔軟に活用されている概念であることは指摘しておかねばなりません。

パンデミックを経験した私たちは「健康」を求められることに慣れっこになったとも脅えるようになったとも言えます。でも「健康」であるということや「ウェルビーイング」の状態とは具体的にどういうことを指すのでしょうか。ここには柔軟に活用される概念ゆえの危うさも孕んでいます。私たち当事者がその範囲を決めることができないからです。どこで線が引かれるのでしょう? 疾患がないこと?障害者手帳を持っていないこと?ちょっと喉が痛いんですけど?定住している家がありません、一日一食だけです、貯金なんてできません、生きるのが辛いです、寝たきりで外に出られません、毎日働けて幸せです、いや幸せではないです、死にたいです、でも生きたいですetc 。ひとによって幸せも不幸せもバラバラな状態であることを踏まえたうえで経済成長や持続可能性を目指すのならば、ワンチャン「ウェルビーイング」を使えばいいんじゃないんでしょうか(使い方合ってますか…)。せめてわたし自身はこの言葉を使うとき、ちょっと一呼吸置きたいと思います。

※参考文献
笠師千恵(2023年)「わが国におけるウェルビーイング概念の言説き関する一考察」北翔大学短期大学部研究紀要61号
内閣官房(2021年)「成長戦略実行計画」