地域文化講座「アートから地域を考える4つのレッスン」。1月21日開催の第3回は、詩人・詩業家の上田假奈代さんをゲストに招きました。
今回のテーマは「人との出会い方としての、ことばあそび」。釜ヶ崎(大阪・西成区)で20年以上にわたり、多様な背景を持つ人々と表現の場を共創してきた上田さんと共に、「合作俳句」というワークショップを通じて、自分とは違う誰かと共に生きる意味を体験的に探りました。
釜ヶ崎で培われた表現の土壌
「ココルーム」という、喫茶店を装った出会いの場
かつて戦後の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが、日本中から集まった街、大阪・釜ヶ崎。最盛期には、わずかなエリアに3万人もの人々がひしめき合って暮らしていましたが、現在は街の景色も変わり、住民の多くが70代半ばを過ぎるなど高齢化の波の中にあります。
そんなこの街に根を下ろし、20年以上にわたって活動を続けているのが、詩人の上田假奈代さんです。彼女が主宰するアートNPO「ココルーム」は、表向きは一見するとどこにでもある「喫茶店」の佇まいをしています。
しかし実態は、俳句や写生、書道といった表現活動を日常的に行う「であいと表現の場」。
なぜ、あえて喫茶店だったのか。そこには、切実な資金繰りの事情以上に、上田さんの洞察がありました。
「得体の知れない「アートNPO」を掲げて門戸を構えるよりも、誰もがふらりと立ち寄れる「喫茶店」を装う。そうすることで、アートに関心がある人もない人も、『うっかり』誰かが迷い込んできてくれるのではないかと考えたんです」
常連客・Aさんが教えてくれたこと

喫茶店としての活動を始めて間もなく、一人の男性、Aさんが頻繁に店を訪れるようになりました。1年以上の付き合いになり、店内で催されるさまざまなワークショップに幾度となく誘いましたが、Aさんが首を縦に振ることはなかったといいます。
しかしある日、「手紙を書くワークショップ」の案内を聞いたAさんが、ふいに「参加する」と声を上げたのです。
そのとき初めて、上田さんはひとつの事実に直面します。Aさんは、「字を書くことができなかった」のです。
これまで頑なに誘いを断り続けてきたのは、関心がなかったからではなく、書けない自分を晒すことへの抵抗感や、場を乱してしまうのではないかという不安があったからかもしれません。それでも、彼は自ら一歩を踏み出した。それは、この場所なら「できない自分」を責められたり、笑われたりしないという信頼が、日々の営みの中でゆっくりと育まれていた証でした。
この出来事は、上田さんにとって大きな気づきを与えてくれたといいます。
「表現することが大事なのではなく、安心して表現できる場をつくることの方がよっぽど大事だ」
作品を作り上げることが、アートの目的ではない。その人の存在がまるごと受け入れられ、自分のペースで言葉を紡いでもいいし、あるいは「表現しない」という選択すらも許される。
そんな圧倒的な「安心の場」をつくることこそが、アートNPOの、そして表現に携わる者の真の役割ではないか。釜ヶ崎の喫茶店でAさんと向き合った時間は、表現の根底にある「人間へのまなざし」を上田さんに教えてくれました。
合作俳句ワークショップ——「ずれ」を愛でる作法
既存の自分を脱ぎ捨てる「加入の儀礼」
今回の講座のメインプログラムは、3人1組で一句をつくる「合作俳句」。これは単なる共同作業ではなく、他者との関係性を再構築するプロセスでもあります。
上田さんのワークショップには、誰もが社会的な肩書きや背景を一度脱ぎ捨て、安心して表現の世界へ飛び込むための細やかな仕掛けが施されています。
その最初の一歩が、「俳号(はいごう)」を決めること。本名ではなく、好きな言葉や映画の登場人物など、今の自分とは異なる「別の名」を名乗ります。そして、動作を伴ってみんなでその名を呼び合う――。上田さんが「自己再構成の力」と呼ぶこの儀式を経て、参加者は日常の役割から解放され、一人の自由な「表現者」へと変容していきました。

意図的な「迷惑」と「ずれ」がひらく新境地
ワークショップの核心は、中間の七音(中句)を作る人が、前の人の意図を「あえてずらす」という掟にあります。
・上句(5音): 1人目が、自由な発想で始める
・中句(7音): 2人目が、意図的に「ずれた」内容を書き込む
・下句(5音): 3人目が、それを受けて一句として着地させる

効率や正解を求める社会の中では、相手の意図を汲み取ることが正義とされがちです。しかしここでは「あえて迷惑をかけ、ずらす」ことが奨励されます。この「非常識な」裏切りによって、個人の想像力を超えた、予想外の世界観が立ち上がります。







一人の頭の中では決して生まれない飛躍。他者の予測不能な介入を「面白さ」として迎え入れるこのプロセスは、まさに多様な人々が共に生きる「共生」のメタファー(比喩)そのものです。

アートを通して関係性を耕す
問題解決から「耕す」アプローチへ
上田さんは、自身の活動をホームレス支援などの従来の「福祉的支援」とは異なる視点で捉えています。従来の支援は、しばしば「課題の発見と解決」を目的とし、どうしても「助ける側」と「助けられる側」の固定的な二者構造に陥りがちです。
しかし上田さんは、イギリスで学んだ「ジグソーモデル」という考え方を大切にしています。食料や安全といった生存の土台の上に自己実現があるとする階層的な見方ではなく、居場所、友人、表現、安全、それら全ての要素がパズルのピースのように「等価」に重要であるという考え方です。

アートが介在することで、人は単なる「支援の対象」から、独自の言葉を持つ「表現者」へと変わります。
「課題を解決してゼロにするのではなく、表現を通して関係性を耕し、豊かに複雑にすることが重要」
上田さんはそう強調します。
「無用性」という名の救い
効率が優先される現代では、常に「有用性(役に立つこと)」が求められます。しかし人間は本来、目的もなく水たまりに足を入れるような、あるいは何かにただ没頭するような「無用なこと」に心惹かれる存在です。
「意味がないことをしてもいい」と許容される場。
それは人の創造性を支える、最大の「ケア」でもあります。役に立つ・立たないという価値基準を一度手放し、言葉と言葉の間にある「正解にならないもの」を大切にする。それは、加速しすぎる現代社会に対する、静かで力強い抵抗のようにも思えます。

迷いながら流れ続ける「川」のように
20年以上の実践を経て、上田さんは語ります。
「支援とアート、ケアと表現は循環を生み出す可能性がある」
社会は常に、問題を「正解」で埋めようと急ぎます。しかし、上田さんの歩みは異なります。
・透明性を保つこと
・多元的な関係を築くこと
・時間を信じること
・常に迷い続けながらも、流れ続けること
「分からない」という戸惑いすら肯定し、アートを介して他者の領域にそっと踏み込んでみる営みを大切にする。そんな一人ひとりの小さな揺らぎが、地域を柔らかな「共生の場」へと変えていくのかもしれません。

